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36.Nさん

36回目の『いわきの生の声』を掲載しました。今回は『Nさん』が書いてくれました。


『帰省するんだ。いわきって(放射能は)大丈夫なの??テレビ見てると福島県全部やばく見えるよ』

という、とある友人の言葉に、先日ショックを受けました。心配してくれているんだろうし、こういうイメージを持たれることは、仕方のないことだと思いますが、実際にそう言われてしまうと残念な気持ちになりました。


震災の影響で、福島第一原発が爆発してから、いわきでも原子力災害が他人事ではなくなってしまいました。

このような大事故が起こるなんて思いもしなかったので、放射能のことは分からないことばかりでした。初めは、本当に怖くて仕方ありませんでした。人体に本当に影響はないのか。いつかは病気になってしまうのか。心配は尽きず、テレビを見ながら福島の将来はどうなるのかを考えていました。しかし、放射能について、報道や本で取り上げられるようになり、家族も私も少しずつ冷静に理解するようになりました。

そして、私の家族もいわきから出ずに過ごしてきました。

震災から約1年になる今、いわきの放射線は、福島県内でも低線量で落ち着いており、平常通りの生活を送っています。

しかし、私の実家は、代々受け継がれてきた農業が、大きな打撃を受けています。

福島産の野菜は、福島産というだけで、価値が下がるそうです。私の家族は、市場へ出荷していますが、例年の半値にしかならないそうです。原木しいたけも、毎年育てていましたが、今年は全然売れないようです。

最近、近くの公民館に、食べ物の放射性物質を測る機械が来たそうで、少しずつ野菜を持っていって測ってみても、今までに基準値を超えたものは無いそうです。お米も、私の地区では不検出となり一安心というところです。

でも、実際のところは、生産者側が安全だから売ろうと思っても、需要が無ければ残念な気持ちになりますし、価値も下がってしまいます。
一方で、出来る限り遠い産地の野菜を食べたくなる消費者の方の気持ちも分かります。

しかし、それでも[福島産だから]という理由で、福島を否定して欲しくないのです。

そのためには、買っていただく方に信頼していただけるように、確実に安全なのかを生産者側でもしっかりと調べて理解して、消費者の方々に誠実に販売する必要があると思います。


これからも、うちの実家では、今まで通り、野菜や米の生産を続けていくと思います。それは、食べてくれる人がいる限り続いていくと思います。今まで、親戚にも野菜を送ったりしていましたが、福島産ということを気にされないか不安もありました。しかし、気にせずに野菜をもらってくれたりすると、うれしい気持ちになります。

うちの野菜は、無農薬で体に良いのが売りです。農家というのは、それぞれのこだわりや思いをもって、生産をしていると思います。

その思いを大切にして、いつかいわきの野菜が、日本全国の人に愛されるようになるよう願っています。


今回の震災で、いわきは、地震・津波・原発・風評の4大被害に遭い、多くの人々が悲しみや苦しみを抱えていると思います。しかし、それぞれがそれぞれの壁を乗り越えて頑張っていると思います。私は、そういう人の力になれる人になれればと思っています。

近々、ハワイアンズが完全復活するそうです。故郷の復興が、少しずつ前に進んでいるんだという兆しのような気がします。

是非ともたくさんの人にいわきを愛し、これからも応援して頂ければ幸いです。

35.双葉町のKさん

35回目の『いわきの生の声』を掲載しました。今回は『Kさん』が書いてくれました。

わたしはわたしの家族といわきとの関わりについて書きたいと思います。


わたしの実家は双葉町で、福島第一原子力発電所から4kmくらいのところにあります。
震災の翌日、家族は原子力発電所が危ないかもしれないという話を聞き、着の身着のままいわきにある親戚の家に避難しました。

必要最低限のものしか持たず、家に帰れるのかも分からず、これからどうしたらよいのか不安でいっぱいだったわたしの家族を、親戚の方々は優しく出迎えてくれたそうです。

もちろん、親戚の人たちも食べものも飲みものもなかなか買えず、自分たちのことで精一杯な状態でした。
それにも関わらず、優しく迎え入れてくれたことを一生忘れることはないと、祖母は涙を流しながら言っていました。


その後度重なる避難の末、わたしの家族は今会津若松市にアパートを借りて住んでいます。

慣れない雪国での生活に苦労しているようですが、たまにいわきの親戚の家に行くと
「ああ、生まれ育った浜通りの風だ」
と、また頑張ろうという元気がもらえると言います。


いわきの人々の優しさ

いわきの自然

わたしたちに元気をくれるいわきをこれからはわたしたちが元気にしていきたいと思います。

34.M町のTさん

34回目の『いわきの生の声』を掲載しました。今回は『Wくん』が書いてくれました。

震災から10ヶ月の月日が経ち、ようやく私の町の宅地造成案が出されました。
私の町は津波により、町の過半数の宅地が全壊してしまい今はそのほとんどが更地となってしまっています。

最近出された復興計画案では、海とさほど高さの変わらない土地を4mほど土砂を盛ることで高くし、津波が来ても安全にするそうです。地元のコミュニティ形成に配慮し、依然住んでいた土地にもう一度、家を建てられるようにしてくれるとのことでした。

津波の脅威に晒されることなく、もう一度、地元民がみんな同じ土地に住めることを目的にしたこの復興案は素晴らしいものと思います。しかしながら、その理想的な復興案を実現することは難しいように思われます。

計画案の問題点は以下の①~⑤通りです。

①奇跡的に生き残った何軒かは、震災後すでにリフォームして住んでいる。そのまま家に住むかどうか家主に選択権があるが、四方が4mも高くなるのに、そのままの場合、雨により沼地のようになってしまい、湿気や基盤の弱体化の懸念がある。

②道路の拡張や河川の防水機能の拡充により、現在住んでいる家を建て壊してくれないかと提案される家が何軒かある。家主は拒否権があるが、町のための提案を拒否することの罪悪感。田舎特有の村付き合いにより本音が言いづらい。

③そもそも、お金がない。補助金に関して、すでに復興計画案が実行される他の港町の例を見ると、津波後に下落した現在価値の
3割の価格で事業主が買い取り、新たな宅地を10割の価格で被災者が自己負担。家の建設費も全額、被災者負担。

確かに、全壊となった家には、全国の皆さんから多くの温かい義捐金が寄せられました。けれども、一体全体、どのくらい裕福な被災者がいると思っているのでしょうか。1千万円を超えるような家を建て直せる被災者など、ほんの一握りだとは思わないのでしょうか?

特に、海沿いなので、町には多くの漁業関係者が住んでいました。が、彼らは放射の影響で、今後稼ぐ当てがないのに、家など建てる余力があるはずがありません。

④今しかチャンスがないということ。津波により、全壊になった土地など買ってくれる者はいません。また、いたとしても、足元見られるし譲渡にかかる税金も馬鹿になりません。したがって、事業者が(たとえ3割の値だったとしても)買い取ってくれるという今の提案に応じざるを得ない状況になっているということ。迷った挙句、拒否してしまった被災者にはどのような未来が待っているのでしょうか?

⑤政府には贅沢だと言われて終わり。被災者の多くは、地震前には、田舎の特権である広大な庭と大きな家でのびのびと暮らしていました。そうであるにも関わらず、いまは狭いアパート住まいや仮設住宅住まいです。普通に考えて、そんなせせっこましい生活など耐えられません。

しかしながら、そのような生活に慣れた被災者がいくらそのような家を建て直したいと思った所で、そんな贅沢なモノに補助金など出せない
とお国は突っぱねるでしょう。世論も、そんな贅沢心に同情する義理はないと言うでしょう。


・・家を失った被災者は、以前のような生活をすることはできないし、いままで普通だと思っていた暮らしを望むことなど許されないのかもしれません。


以上のように、年末年始に復興計画案を親から聞かされて、今でもウソのような話だと思ってしまうのですが、その計画案の発行者欄にはしっかりと”国交省”と書かれていて、たった3文字ですが、この案が現実なのだと示すには十分すぎるものでした。

かくいう私の家は、大木や近所のベランダが通せんぼをしてくれたおかげで、奇跡的に津波は1階で押しとどめることができました。そうして、自分の家が大好きな父はすぐさま、1階の床を全部張り替えて、この10ヶ月間、水が出ない時も雨漏りする時も、大好きな我が家で元気に暮らしていました。

が、国は私の家が住んでいることを知っているはずなのに、復興計画案で、我が家を緑地公園にすると発表しました。その発表を聞いたときから、父は誰の目にも明らかなように、元気をなくしてしまいました。年末年始には、寝床で何度もうなされている父を見ました。。。。

・・被災者のためにという善意は、時に被災者を苦しめることを知ってほしいです。私は、復興のために、何もしないよりは何かしら行動した方が良いという考えですが、行動を起こす者は、それをすることによって被災者にどのように受け取られるか、十分すぎる程熟慮する”責任”があると思います。

そういう観点から、私たちLittleIWAKIの活動も、可能な限り、被災者の視点に立って活動していかなければならないと、改めて思います。

33.Hくん

33回目の『いわきの生の声』を掲載しました。今回は『Hくん』が書いてくれました。

明けましておめでとうございます。気がつけばもう新しい年を迎え、3月11日の東日本大震災から10ヶ月の月日が経過しました。この月日は、被災地に、私たちに何をもたらしたのでしょうか。震災ボランティアの希望者は激減しているそうです。それはそれで、復興の段階が変わったということなのかもしれませんが、人は過去を、忘れていくということでもあるのでしょうか。皆さんは今、どんなことを感じておられますか。「震災の記憶を風化させない」を理念としている「Little IWAKI」の活動はこれからが正念場なのかもしれません。私も微力ながら協力していきます。

32.Uくん

32回目の『いわきの生の声』を掲載しました。今回は『U くん』が書いてくれました。

昨年の震災は本当にみんなにとっても自分にとっても大きな出来事でした。6月頃、海沿いの方に行ってみてはじめて自分の目で現状を見ると、メディアでは写し出されない生々しい現実がありました。いろんな想いが溢れてきたのを今でも思い出します。震災時に自分の知り合いが医薬品不足で亡くなってしまった出来事も、自分が製薬会社に就職を決めたひとつの理由です。震災は自分の人生に大きなものを残していきました。しかし、あきらめずに復旧活動をする地元の方々のお話を耳にし、大切なのは前向きに生きていくことだと学ぶことが出来ました。
そんななか、littleいわきの活動は飲み会にしか参加出来ずに戦力になれなくて申し訳ないです。でも、littleいわきを立ち上げた人達、それを行動で体現してきたみんなには本当に尊敬の念を抱きます。同郷出身として誇りに思います。今年も活動があれば、是非参加させていただき、戦力になりたいと思います。
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