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11.H町のSくん

11回目の『いわきの生の声』掲載しました。

『H町のS君』

私は帰郷中に被災した。実家は、1F(福島第一原子力発電所の符号)から南21キロにある。緊急時避難準備区域だ。
浜通りは原発通りといった俗称もある、原発と結びついた地域だ。友人や親族にも原発関係者が少なからずいる。自治体も多額の補助金と引き替えに、原発の立地を認めてきた。大地震で全ては崩壊した。

原発が危機的状況に陥った時、勤めていた身内と連絡は取れなかった。情報は少なく、私は残りの家族と共に、半ばパニック状態で南へと逃れた。字数の関係で詳述はできないが、あの1週間を忘れることはないだろう。
身内とはその後連絡がついた。事故発生からずっと1Fに留まっていた。それを誇らしくも思ったが、間違いなく被曝していることを考えると、何をどう伝えて良いか分からなかった。今は1Fから離れ、2Fで勤務している。
東京電力は馴染みのある会社だ。だが現場で社員が、作業員が文字通り命を懸けていた時、後方で上役達が何をしてくれていたのか、あるいは行政や政治家達が何をしていたのか。一時の憤怒を過ぎて、今ではやるせなくなる。


原発事故の後始末には、何年かかるのだろう。5年か、10年か。
事故収束へ向けたロードマップのステップ1は達成されたという。処理汚染水を用いた原子炉冷却が開始されたからだ。これ以上の汚染水増加に歯止めをかけた。だが、それだけのことだ。

これから核燃料を処理し、破損した原子炉建屋を密閉し、汚染地域の除染を行わなければならない。口で言うのは簡単だが、どれほどの時間と費用がかかるのだろう。核燃料は溶け落ち、未だにその状態も分かっていない。さらに汚染された土地がどれほど広大なことか! その全ての土を入れ替える資金や処分場があるのか。福島の汚れた土を、どこが受けいれてくれるのか。おそらく原発周辺区域が、最終処分場に設定されるのだろう。
浜通りは、今後も核と共に生きていかなければならない。エネルギーを生み出す核ではなく、最悪な廃棄物としての核に。
 

週末になると私の町には所々で家々の灯りが点る。住人の一時帰宅だ。だが実家から500メートル、交差点の検問の先にこのような灯りはないだろう。私の町でさえ、一生をここで暮らせるかと問われたら、分からないが恐らく無理だろう、と答える。誰がこの土地で子供を産み育てたいと考えるだろうか。
だがそれでも、ここは私の故郷だ。


今の状況は、我々が望んだものではない。しかし現実は我々のみならず、原発の恩恵を享受しなかった人々の生活までも破壊し、後世に莫大な負債も残してしまった。
これまで大なり小なり恩恵を受けてきた者は、その責任をどう取ればよいのか。私にはまだ分からない。何とかしてそれを見つけ、これからの日々を過ごしたい。事故が「終息」するその日まで。
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